書く目的はどこにあるのかを考える

3月より新しく始まったCRIPのコラムコーナー、日々の生活の中にもたくさんあるイエローベース、ブルーベースの風景を切り取ったコラムです。

CRIPメンバーの皆さんがそれぞれに、自分の生活の中で目に留まった色々を写真に撮って簡単な説明書きを加えています。

書くこともメンバーの自由意志ですので、毎月の掲載数は締め切りが来てみないと分からない、自由なコーナーです。

 

書くことの目的

一般的な話として、コラムに限らずブログでも書くことが苦手な人もいるでしょうし、

何のために書くのかという目的を考えた時、自分には必要無いのではと思う人もいます。

CRIPの場合にも、私が冒頭でメンバーの自由意志と書いたのはその部分で、書く必要性を感じた人だけが書けば良いのかなと。

仕事に対する考え方、または今出来る環境にあるのかという家庭の状況などによっても必要性は違いますし、

グループの全員が同じ状況、同じ考え方であるはずもなく(笑)多様性があることにグループの良さがあると思っています。

 

必要があるから書くという意思を持って書くのと、そうでないのでは自分の中での結果が大きく違うこともありますが、

書くという行為はアンテナを張っていないと出来ないことで、そのアンテナを張ることは勉強の継続やプロ意識につながり、

アンテナを張る、磨く、ということは簡単ではないからこそ、書く必要性を感じるということは自分自身がアンテナを張れる状態なのかを示していると思っています。

 

どのくらい考える時間を使っているかで違うもの

私は毎日何かをしながら、見ながら、仕事に結びつくアイデアやヒントを探しています。

「とにかく考えること、1日の限りある時間の中でどのくらい仕事のことを考えているかで、仕事の成果も違ってくる」と新卒で入社した会社の社長が言った言葉、

私はその通りだと思って強く印象に残った言葉でもあり、今もなおその言葉を思い起こして自分はまだまだ足りないと思うことも。

 

全体のこと、大きなことを考える時には、思考のタイプで分類した時にアイデアを考えることが得意なタイプはありますが

個人レベルの自分の仕事に関するアイデアは、自分以外の誰かが思いつくようなものではなく、自分で考えなければ良いアイデアにはならず、

どれだけそのことに時間をかけて考えているか、アイデアにたどり着くためには時間をかけること、それに尽きるのではと思うのです。

 

以前のブログでオリジナリティはかけた時間に比例する、と書きましたが、

誰でも考えることはしますが、最後まで考えないで諦めてしまうと何も生まれず、

最後まで、もう何も出ない、これ以上無理、と思うところまで考えたら、必ず降ってくる、神様からご褒美がもらえる、それがアイデアを生むことなのかなと。

 

書く目的は自分のため

プロ意識を持つということは、アンテナを常に張り、錆びないように磨いておくことであるならば、

アンテナを張るというのは、自分が考える時間をどれだけ使っているかを示すもの、

磨くというのはそのために勉強をしているかどうかを示すもの、

どちらも書くという行為において欠かせないものだからこそ、コラムやブログを書くという行為は

・自分の仕事のクオリティを上げるため

・プロ意識を維持し、自分を進化させるため

の選択肢の一つだと考えています。

 

Izumi Kamei